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8月15日とボク [おもわんコト]

     
     6年生のボク、これからお宮参り。この年でに叔父さんに昇格。
     この目タレでもてたんよ、、?

昔見た夢の記憶のひとつに、南の空から得体の知れない銀色に光る大量の飛行物体が飛来してきて、ボンボコ爆弾を落とすモンだから、逃げまどってどうしていいかわからず、死を覚悟したような夢を見た覚えがある。

飛行物体は見たこともないようなかたち、宇宙船のようにも想えた。
物体はみるみる空いっぱいに広がった。
実際にあったこと、自分自身が経験したことと子供の頃は本当にそう思っていた。

得意の絵で再現することも出来る。そのくらいリアルな情景であった。
今思えばこれは祖父(じい)ちゃんから聞いた
終戦末期のこのあたり
(首都圏北部に位置する田園地帯)の出来事や、
無口な親爺が満州出兵で見聞きしたことを寝ながらするのだが、

これが恐怖体験となって「ユメと化」したのではないかと、思っておきたい。

   
   近所の神社に出発です。こんな車あったかなあ?


この、、田園地帯、、で生まれ育ったボクの遊び場は
自然や生命に恵まれた豊かな水郷であった。

風景がホント美しかった。今でもボクは好きだ。
水田は地平線まで続いていた。

真夏の稲穂を吹き渡る風は、体に感じることはもちろん、
稲穂のそよぎ方が、美しくさえあった。

が、家の前の道路は軍の施設(千葉柏飛行場)への幹線道路でもあったので、
夜中ゴトゴトと揺れる大きな音に目が覚めて、
窓からそっと外を覗くと戦車が走っていた。。。

家内は信じない、年齢詐称かユメごとなんじゃない?、だと。

また、ある時はモスグリーン色の大型トラックから外人(軍人)が降りてきて、
休憩なのか、
当時では見たこともない大きな肉の塊(ハム)を一人で丸かじりしていた。

それをボクはアンちゃんの手を握りしめて見ていたっけ。

また、遊び仲間の特別な場所として、
護郷(もりさと)神社というのが田んぼの中にあった。
村の社(もり)にしては、立派な造りだった。

ここではよく厚めのブリキ板を手裏剣型に切り抜き、
先をヤスリでとんがらかして、
よく忍者ごっこをしたもんだ。

手裏剣を投てきするために標的にしたのが境内一の大木、
クスノキ科の「ニッケイ」である。
手裏剣以外にもこの木の根っこをほじくり出して、
乾燥し、おやつ代わりによくしゃぶったもんだ。

子供の頃は「ニッキの木」と言ったものだが。

     
     あっ、ニッキの木も見えますね。


境内には他にも子供のボクには不思議な物が小高い山の上に建っていた。

それは、支那事変、大東亜戦争の地元の殉職者の碑、
そして、乃木希典(のぎまれすけ)書の忠勇碑が建っていた。

子供のボクには、当時、何のことかわからなかったけれど、
後に理解するのに時間は要しなかった。

戦争というものを意識させてくれたのは、
さらにそのとなりに ” おったつ ” 物だった。



その板碑の傍らには大砲の弾がいまなお、建っている。。はず。

     
     右側に大砲の弾が見えますね。


今は亡き母からは終戦間際、東京を空襲した爆撃機が北上し、この水田地帯の上空で旋回して戻るときに落とした物、らしいと聞いた。

他にも零戦がB29との死闘の末、墜落し(後に掘り出され遺骨は家族の元に返されました)たことや、B29の墜落により米兵3人が捕虜(落下傘で脱出)となり(終戦後帰国しました)日本軍に連れて行かれたことなどを聞きました。

でもこの大砲の弾、もちろん信管はなく先端に穴だけがあったけど焼夷弾には見えないし、日本軍の物かもしれない。

さんざん触っても一度も怒られなかったが、一人で行くには何故か怖い場所だった。



結婚後、家内をここがボクの遊び場だと、一度見せに連れて行きました。



このようにお宮参りと手裏剣くらいしか記憶がない神社だけれど、

2階程度の山の上からは62年前の、8月15日の前の晩も

東京方面の空が赤く焼けていたのが、この杜から見えていたのかもしれない。


、、、、、ユメであって欲しかった。





   
   中学入学で買ってもらった自転車。この前カゴとランプで決めたのよ。

   以上、すべていまから38年前の写真でした。


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コメント 13

モモパパ

懐かしい車、これは超高級車では無いですか〜!
私のおじさんはお医者でしたが当時、キャロルでした^^;
それにしても自転車がスポーツタイプでないのが面白いです^^
兄が2年後、フラッシャー(電球何個かの方向指示器)付き、私はその次の年セミドロップハンドルのスピードメーター付き自転車でしたね〜!!

終戦記念日ですね・・・二度と戦争はして欲しくないですね!
by モモパパ (2007-08-15 19:37) 

小松庵店主

戦争反対!死ぬのはいやだ!by snakeman show
38年前といえば、私まだ1歳です・・・・・。あっ!歳がばれた。
我が家もじいちゃんからいろんな話を聞きましたね。>戦争
一昨年、知覧の特攻記念館に行った時にはしみじみ考えされられました。
by 小松庵店主 (2007-08-15 20:50) 

にょろ

賢そうな顔のおぼっちゃまだこと!
にょろも、もうちょっとましな写真をアップすればよかった。
(少し前の記事に写真を載せてます。)
今日、終戦記念日だったんですね。戦争は反対!!!
38年前といえば、-2歳でちゅぅ~(笑)。
by にょろ (2007-08-15 21:25) 

従者

同じ顔だ!
当たり前か、本人だもの・・・(笑)
戦争を感じることの出来る話、聞いたことがありません。
母が疎開していた先の話ならちょっと聞いたことはあるけれど。
日本人は、過去を無いものとしてしまいましたね、米軍のせいでしょうか。
今一度、皆で過去を振り返り、認識を新たにすることが必要だと痛感します。
by 従者 (2007-08-15 22:34) 

終戦後もしばらく米軍は駐留していたと思いますが、同世代の記憶とは思えないです。
長いこと原っぱだった柏飛行場もアメリカから返還され、国→県へ。今は柏の葉公園となり、レイソルの試合などが行なわれたり、複合施設が建っております。つくばエクスプレスも開通し、駅の近くには三井のらら様もおいでなすった。

私は軍港の町で生まれて育ったので、アメリカの偉い方々がたくさんいました。黒髪のかわいいベイビィーと大層かわいがれ・・・いつもチョコだの見たこともない缶詰などを貰い、何もないとお金もくれたようで、稼ぎ頭だったそうです。そこに「ドイ」という名のワイヤーフォックステリアがいまして・・・犬といえば、スピッツか雑種しか見たことがなかった時代に、なんて素敵な犬なんだろうと・・・。
今は自衛隊の町ですが・・・行く度に斜陽となって、見る影もないです。

祖父は戦死しましたが、戦争を語る世代が少なくなって、上のようなおバカな話しかないですが、昨日は黙祷しました。
by (2007-08-16 11:34) 

マコちん

私の祖父母はね、戦争の話はしてくれなかった。
小学校の宿題で「おじいちゃん、おばあちゃんに戦争の話を聞きましょう」ってのがあったんだけど、あんな話はしたくないって話してもらえなかったのを覚えてる。
終戦の時期になると戦争物のドラマや映画があるけれど、見ると腹が立つのは私だけではないと思う・・・。
ところで、大砲の写ってる写真、顔がたくさん写ってるの・・・・・
やっぱりそういう場所だからかな?
ヴォイスさんは、今もタレ目なの?
この時代のこの車って、すんごいお金持ちのお坊ちゃまだったのですね!
by マコちん (2007-08-16 14:24) 

ヴォイス

モモパパさま
<超高級車?、なの。
お宮参りのため借りてきたんじゃないかな、記憶にないもの。
通学用の自転車なので、スポーツタイプはおらが田舎ではなかったなあ。

小松庵店主さま
知覧行かれましたか。つい半世紀まえまではこんな国だったんです。戦争反対なんて口に出すことも出来なかったんです。広島、長崎、最後に沖縄平和記念資料館を是非とも見て下さい。

にょろさま
賢そう?、おぼっちゃま?
見ましたよー、もうちょっと大人になったのも出さなきゃ。
う゛〜〜、、若いっ 魑魅魍魎の中堅です 笑

従者さま
ちょっと東京裁判を思い出しましたが、過去を無い物以上に塗り替えていることもありましたね。言論、報道規制は表には出ないけど、今も生きていることが問題なのです。

こぎんさま
黒髪のかわいいベイビィー、、英語だったんでしょうか。
犬以上に外人さん自体に会える環境ではなかったですから、テリアなんかみたら、、、リアクションすら浮かばない。

マコちんさま
顔??
どこ〜? 霊能者?
写真やめたほうがいい??
<今もタレ目?って、言われてなんと答えるのよ!。
金持ちのわけないさー!!ベニヤにペンキで描いたのさー。
by ヴォイス (2007-08-16 15:12) 

ichiko

誰もが優しければ、争う事なんて無いはずなのにね。。。
爆弾なんて落とせないはずだもの。

ヴォイス さんは、やさしいお顔の人なのね。
by ichiko (2007-08-16 20:47) 

マコちん

私ゃ霊能者なんぞじゃありまへんがな!
地面に顔がいっぱいあるよ・・・よ~く見てみ。
写真は別にいいんでない?霊能者じゃないから分からないけど^_^;
昔の写真って、よく顔が写ってるよ。うちにもあるもん。
by マコちん (2007-08-17 13:23) 

不可能姉妹

妹です!
この時代(でいいのかな?)
自家用車なんて〜おぼっちゃま〜
わたしも祖父母から戦争の話を聞きました....
じいちゃんの腿には弾が入ったままだった....(本当かな?)
子供ながらに...話を聞くと涙が出て来てしまうのを覚えてます。
で....まこちんさぁ〜ん!顔?って....(恐)
恐くて見直せない.....
by 不可能姉妹 (2007-08-21 23:27) 

りちこ

アタマをゴマシオにしたら(失敬・・・)、
今のお顔じゃーありませんかっ!(>∇<)
優しそうなおタレ目は子供の頃からだったんですね~^^
コチラでは終戦記念日よりも慰霊の日がメインな感じです。。。
でも平和を望む気持ちはいつの日でも変わりません。
うちの近所の空き地に、戦車が捨ててあった?んだって!
そこで遊んだねーちゃん達は、Cレーション(戦場用食料品?)を見つけて
食べたとか食べなかったとか・・・。
by りちこ (2007-08-22 00:08) 

コデオ

戦争に関する興味深い話が柏近辺にはいろいろありますね。
わたしが知っている限りでは、正連寺に降下した米兵3名は
田中小学校にて市川憲兵隊柏分遣隊に引き渡され、
昭和20年5月25日の東京空襲により陸軍中野刑務所で
焼死した模様です。
なお、降下した3名以外はB-29とともに野田市下三ヶ尾付近に
墜落、死亡しています。
そのほか、上記の5月25日東京空襲に参加したと思われるB-29が
流山市西初石にて墜落(乗員全員死亡)、これは日本軍機の迎撃
(柏飛行場の70戦隊or18戦隊残置隊?)によるもののようです。
今はそんなことがあったなんて微塵も感じないですが....
by コデオ (2007-09-06 12:08) 

はじめまして。通りすがりといいますか、ソフトクリーム話でこちらへ辿り着いた者ですが…
古い写真が好きで、こちらの記事へ目が止まって、文章も読ませていただいたのですがなんとも言えない不思議な感覚を覚えました。不思議というか、うまく説明できないのですが、心が動くような感覚です。とてもよい記事だと思いました。
by (2007-09-11 23:25) 

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