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八月十五日 [かぞくのコト]

自宅のコピー.jpg
あの日も朝からじっとりと暑かった。

ゆうべも遅くまで「らいさま(雷)」がなかなかおさまってくれず、ずっと近辺で鳴り響いていたようだ。
雨戸を閉めても板戸のせいか稲妻が屋内まで差し込み、ズズズシーンと家中が音をたてる。
恐がりの僕は光ってから雷鳴までの時間を数えながら刻々と変わる「らいさま」の位置を探っていた。
いよいよ激しくなると蚊帳を吊り、間ん中に座ってじっと通り過ぎるのを待つ。
母が線香に火ををつけ「くわばらくわばら」と傍らで言っているのを黙って見つめていた。

首筋に流れる汗で目が覚めた。
庭のイチジクに群がるカミキリムシが「ギュッギュッ」と鳴いている。
どうやら雷が遠ざかるのをじっと待っているうちに寝てしまったらしい。
土砂降りの雨音と繰り返す轟く雷鳴が子守唄となったのだろうか。

昨晩、ひとりで遊んでいたのか蚊帳にピンクのボールが乗っていてその重みで蚊帳が垂れ下がっていた。
これを下から寝ながら蹴るのが好きだった。

もう母も父もすでに起きていていなかった。

父は朝ご飯の前に一仕事するのが日課だった。
大正生まれの父はヨレヨレの綿の帽子をかぶり朝から晩まで無口でよく働いていた。
一息つくと”しんせい”を半切りしキセルにさして旨そうに吸っていたのを思い出す。
よく、しんせいを近所の源八商店まで買いに行かされていた。

なぜか僕は父との会話の記憶がほとんど無い。
親爺の声が頭の中の何処を探しても無い。
2度ほどげんこつで殴られた痛さだけはよく覚えているが。


この頃は父を皆が「おんちゃん」と呼んでいた。
こう呼んでいることを友達に知られることがとても恥ずかしく思っていた。
いかにも田舎っぽい語感だった。

他にも悪ガキの間では言っていたのだが、
「また明日」とか「バイバイ」を「あばな」とか言う習慣があり、よく使っていた。
中学の時密かに憧れていた女の子につい「あばな」と言ってしまい、
きょとんとされかなりの期間落ち込んでいたことがある。
もちろん通じるわけがない。その子は東京から来た子だった。

ひとり、蚊帳を外して白い木綿の敷布とフリルのついた枕カバーをはずし、布団を押し入れにしまう。
窓や障子を開け放ち、畳を、柄の長いほうきを両手で持ち縁側に向かって掃いていく。

朝ご飯の時間だ。

ちゃぶ台を設置する頃には皆が集まってくる。
そして母の炊きたての朝ご飯を頬張る。
畑から採れたての茗荷と茄子のおみおつけが旨かった。

「さあ、今日もせわしい」と母が言った。




     両親がいないと実家が遠のく、
     生まれ育った家屋はもうないが
     記憶を頼りに1階のみだが再現してみた。
     あの日とは昭和40年の頃の夏である。

     玄関は土間だったように思う。

     縁側が南と西面にあり軒も深かった。
     近所のばあちゃんが勝手に座っては、
     お茶とぬか漬けで何時間も入れ歯について喋っていたり、
     富山の薬売りもこの縁側に何段ものつづらを広げていた。
     その中から折りたたんだカラフルな紙風船が現れる。

     中央に仏壇、直ぐ横の天井近くには神棚があった。
     この柱には背比べをした傷があったなとか、
     床の間の柱はサルスベリと祖父ちゃんが言っていた、
     2階まで1本の柱だったとか、

     瓦を固定する土によく蜂がいたとか、
     鳩を飼ったり、
     モルモットやウサギがいたり、

     有線電話でいきなり「13番さん」とか呼ばれたり、

     押し入れの壁は兄貴たちの社交場、
     平凡パンチの切り抜きでいっぱい、
     僕の絵本は平凡パンチだった。

     外には枯れることを知らない井戸もあった、、

     もう少し早く古物趣味があったなら、
     あの漆のはげた年代物のちゃぶ台を確保しておくべきだった。

     鉄人28号のブリキのおもちゃ、

     ジャングル大帝レオのバック、、、ポンポン船、、、、、



↑回してみよう。笑
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コメント 5

to-fukozo

うわ、すごい。
お仕事ではなく、つくったんですよね・・・。
テーブルや井戸に時代を感じます。
それにしても、よく覚えてますね〜。
間取りを覚えているのは幼稚園年長〜小学生を過ごした家までですね。
おぼろげですが。
by to-fukozo (2008-08-21 22:58) 

モモパパ

懐かしいですね〜あの頃・・・^^;
私は昭和40年は都会の長屋(?)に住んでました^^
今の実家が平屋で四間取りなので少し似てます。
方言、確かにちょっと恥ずかしいですよね^^;
回したらあまりに早いので目が回ってしまいました><
by モモパパ (2008-08-24 16:37) 

マコちん

昭和40年、オラが生まれた年ですな~。
祖父ちゃんの家を思い出させる家です。
まぁ、祖父ちゃんちは茅葺屋根だったけど・・・
有線電話って何すか??
by マコちん (2008-08-24 22:08) 

こぎん

よくできた見取り図・・・?でいいのかな?

生家は2階があったのですが記憶は屋根裏にあった飛行機。
父の趣味だったようで、とっても大きかったな~。
その後の祖母の家は平屋だったし・・・2階のある家が羨ましかった。
「あばな」は・・・さすがに青森でも言わないよぅ~。

平パンが絵本ですか?? 平パンは1964年創刊。
絵本と呼ぶお年頃かしら? (*ーー) 末っ子はおませなんだよね。
by こぎん (2008-08-26 22:41) 

にょろ

にょろは大阪の下町(それも埋め立て地)に育ったので
こういうお家はドラマでしか見たことありません。
でも、行き止まりに縁台を出して、
夏になるとみんなが将棋を指してましたね。
by にょろ (2008-08-31 21:47) 

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